願うような気持ちと共に ダームエル視点、フィリーネ二年生直前の秋の小話。うっすらダムフィリ。「……っ」 目にした光景に息を呑む。 一人で城の本館を歩くフィリーネに私が追いついたのは、彼女がちょうど壮年の貴族達とすれ違った時だった。 下級貴族でありながら領主一族の側近を務める私達は、どうしても一部の者達のやっかみを集めてしまう。フィリーネの横を通り、薄笑いを浮かべたまま私の横をも通過していったのは、そんな懸念の典型例のような一団だった。 相手も貴族だ。いつ何が原因で不利な立場に立たされるかわからない貴族社会において、明らかな敵対行動を取るほど愚かな者はそうそういない。このように対面しても、遠回しに中傷されるのがせいぜいであったが。 ……今の行いは。 気色ばんで身構えようとした私を、フィリーネは軽く首を横に振って止めた。「大丈夫です」 彼女の唇は貴族らしく笑みの形を作っていたが、いつも左右にまとめられている髪は片側だけ乱れ、一房抜けてしまっていた。今立ち去った者達が、故意に引っ掛けて行ったのだ。 意図的なのは明らかだった。集団の端にいたわけでもない一人の男が不自然にフィリーネに寄って行き、おかしな角度に腕を伸ばしたのだから。それでも、階級は高い彼らに「わざとではなかった、すまなかった」と大仰にうそぶかれてしまえば、私達は基本的には何も言えなくなる。そこまで承知の上で行ったのだろうと思うと、よけいに浅ましさが感じられた。「しかし……」「ダームエル。心配してくださってありがとう存じます。でも、わたくしでしたら大丈夫ですから」 事を荒立てる必要などありません、と。伝わってくる彼女の意志に、私は口を引き結んで賛同した。確かに、嫌味や当てこすりに反応してもいいことはない。何事もなかったかのように振る舞うのが妥当な対応だ。私もそうしてきた。同じ立場になった彼女に、この季節三つほどの間「気に病むことはない」と教えてきたのも他ならぬ私だ。 ……しかし、言葉だけではなく手まで出すとは。弱い立場の中でも弱い彼女に。 成人してから側近になった私ならまだしも、フィリーネはまだ貴族院の二年にもなっていない見習いだ。貴族とは洗礼式を迎えたとたん人目にさらされるものであり、年少者が誹謗されるのも珍しいことではないが、それでも当たり前だとただ飲み込む気分にはなれなかった。 ……あと一瞬早く追いついていれば、防げただろうか。 歯噛みするような思いがおさまらない。当のフィリーネは取り乱す様子もなく持ち物や衣装に影響がなかったかを確認しているが、平静そうにふるまっているからこそ痛々しく感じられた。「……フィリーネ。もしかして今までにもこんなことが?」「いいえ、これまでは聞こえよがしに何か言われる程度でした。ですから少し驚きましたけれど……驚いただけですよ。怪我はしていませんし、書類も無事で良かったです」「怪我はなくとも、痛みはあっただろう。あんなに髪を引かれて」 我慢しているだけではないのか。同じ側近である私にまで隠すことはないというのに。 少しかがんで瞳を覗き込むと、フィリーネは若葉のようなそれを細めて、むしろ嬉しいことでもあったかのように頬をほころばせた。「ちっとも痛くありません。……ダームエルが、来てくださいましたもの。一人で神の瞬きに当たったほうがよほど痛いくらいです。それに、お顔がわかっているのです。文官としては収穫と言ってもいいのではないでしょうか。これからも辛く当たられるでしょうから嬉しくはありませんけれど……見えないところで悪意を持たれるよりは、いくらか対処しやすいのではないかと思います」 ハルトムートの教育のたまものだろうか、元から内に秘めていた強さだろうか。冷静に利点を挙げ乗り切ろうとしているフィリーネの姿に、私は息をついた。 ……これでは、どちらが嫌がらせを受けたかわからないな。 少しばかり目をうるませているけれど、彼女は決して屈していない。ならば、私がいつまでも引きずるわけにもいかないだろう。 ……だが、この姿はどうしたものか…… 乱れた髪に視線をやると、フィリーネは思い出したかのように指先を口に当てた。何か逡巡しているのか、瞳をさまよわせてから、ふわりと私に笑いかける。「ダームエル。少しだけ、よそを向いていてくださいませ」「?」 戸惑いながらも私は言われたとおりにフィリーネに背を向けて、周囲を確認した。先ほどの集団は曲がり角に消え、他に向かってくる気配もないようだ。 ……フィリーネもこれを確かめていたのか。 彼女が小さく見回していた意味に気付いた私は、姿勢をあらためた。人影がなくとも油断はできない。私に見られたくない何かがあるなら、他の人目はもっとまずいだろうから。 ……どこから人が来てもフィリーネを庇えるようにしておかなければ…… 守るべく思考をめぐらせるうちに、私の心は静まっていった。「……お待たせしました」 ほどなくして振り返ると、フィリーネは少し恥ずかしそうに私を見上げていた。 いつも通りに整えられた髪型で。「!」 ……そうか。君は、自分で。「……行こうか」「はい」 もちろん他言などしない。私が目を細めてうなずいて見せると、フィリーネの微笑みは安堵の色を得た。 一般的な見解ではフィリーネの行為は貴族らしからぬものであるだろう。任務中の騎士でもない限り、淑女の髪は自室で側仕えが整えるものだからだ。 だが私はローゼマイン様の護衛騎士だ。お仕えするうちに「柔軟な対応」は嫌でも身についた。それに、かの生い立ちがなければ成り立たなかったのではないかと思われる魔力圧縮方法などから、物事はどこで何に応用できるかわからないことを実感している。自分にない知識や経験は、貴族としての是非を問わず、一目置いて見るようになったのだ。 そのため、目をこぼすどころか感心していた私は、声をひそめて訊ねてみた。これほど素早くこなせるものなのかと。フィリーネははにかんだまま教えてくれた。「そう難しくもないのですよ。よほどひどく乱れなければ、鏡がなくてもできるのです」 二つに分けてさえしまえば、編んだり高く結い上げたりしていないので簡単なのだそうだ。 そう言われても、自分の髪を伸ばしたことも長い髪に触れたこともない私には、やはり大した技術のように思われる。「難しそうに感じてしまうが……そういうものなのか」「はい。わたくしは特に扱いやすい髪なのだそうです。ユーディットも、側仕えをまねてわたくしの髪を整えたとき、思いのほかやりやすかったと話していました」「ユーディットが? あぁ、貴族院では同室だったか」「はい」 嬉しそうにうなずいたフィリーネに、私も口元をゆるめた。 快活なユーディットのことだ。きっと心温まるひとときだったに違いない。初めての貴族院を領主候補生の側近として過ごす緊張の中、息をつくことができていたのであれば何よりだ。 ……私も少しは気休めになれていたらいいのだが。 不安定な立場なのは私も同じだが、私には心を砕いてくれる兄がいて、少しは力を抜いていられる実家がある。対して、実家こそが警戒対象とも言える彼女は、今もこれからも気を抜いて生きることなどできない。 せめて憂いが減るように。この蜂蜜色の髪がもつれてしまわないようにと。 願うような気持ちと共に…… 私は、背筋を伸ばし文官として歩いて行くフィリーネを見つめていた。お読みいただきまことにありがとうございます。自分のこの発言……フィリーネの髪型ってキャラ的にももうドンピシャこれしかない愛らしい尊い椎名先生ありがとうございますって感じなんですけど、『何かあったときに自分ひとりでも元に戻せそうな髪形』でもあるような気がしてきてウウッ……(2018年6月27日)……をきっかけに書き始めて、ゆっくりのんびり推敲を重ねていた妄想話なのですが、貴族院一年生外伝も刊行されるということで、ちょっと表に出してみることにしました。(本物のユーディット&フィリーネ部屋の様子が公開される前に……というチキン)少しでもお楽しみいただけたなら幸いです。※『神の瞬きに当たる』は造語で、原作のどこを見ても出てきませんのでご注意ください。意味は『うっかりする』とだいたい同じ。[本好きの下剋上ファン作品 No.01]#ダムフィリ #ダームエル #フィリーネ #本好きファン小説 本好きファン作品/小説* 2018/10/05(Fri) 22:21
ダームエル視点、フィリーネ二年生直前の秋の小話。うっすらダムフィリ。
「……っ」
目にした光景に息を呑む。
一人で城の本館を歩くフィリーネに私が追いついたのは、彼女がちょうど壮年の貴族達とすれ違った時だった。
下級貴族でありながら領主一族の側近を務める私達は、どうしても一部の者達のやっかみを集めてしまう。フィリーネの横を通り、薄笑いを浮かべたまま私の横をも通過していったのは、そんな懸念の典型例のような一団だった。
相手も貴族だ。いつ何が原因で不利な立場に立たされるかわからない貴族社会において、明らかな敵対行動を取るほど愚かな者はそうそういない。このように対面しても、遠回しに中傷されるのがせいぜいであったが。
……今の行いは。
気色ばんで身構えようとした私を、フィリーネは軽く首を横に振って止めた。
「大丈夫です」
彼女の唇は貴族らしく笑みの形を作っていたが、いつも左右にまとめられている髪は片側だけ乱れ、一房抜けてしまっていた。今立ち去った者達が、故意に引っ掛けて行ったのだ。
意図的なのは明らかだった。集団の端にいたわけでもない一人の男が不自然にフィリーネに寄って行き、おかしな角度に腕を伸ばしたのだから。それでも、階級は高い彼らに「わざとではなかった、すまなかった」と大仰にうそぶかれてしまえば、私達は基本的には何も言えなくなる。そこまで承知の上で行ったのだろうと思うと、よけいに浅ましさが感じられた。
「しかし……」
「ダームエル。心配してくださってありがとう存じます。でも、わたくしでしたら大丈夫ですから」
事を荒立てる必要などありません、と。伝わってくる彼女の意志に、私は口を引き結んで賛同した。確かに、嫌味や当てこすりに反応してもいいことはない。何事もなかったかのように振る舞うのが妥当な対応だ。私もそうしてきた。同じ立場になった彼女に、この季節三つほどの間「気に病むことはない」と教えてきたのも他ならぬ私だ。
……しかし、言葉だけではなく手まで出すとは。弱い立場の中でも弱い彼女に。
成人してから側近になった私ならまだしも、フィリーネはまだ貴族院の二年にもなっていない見習いだ。貴族とは洗礼式を迎えたとたん人目にさらされるものであり、年少者が誹謗されるのも珍しいことではないが、それでも当たり前だとただ飲み込む気分にはなれなかった。
……あと一瞬早く追いついていれば、防げただろうか。
歯噛みするような思いがおさまらない。当のフィリーネは取り乱す様子もなく持ち物や衣装に影響がなかったかを確認しているが、平静そうにふるまっているからこそ痛々しく感じられた。
「……フィリーネ。もしかして今までにもこんなことが?」
「いいえ、これまでは聞こえよがしに何か言われる程度でした。ですから少し驚きましたけれど……驚いただけですよ。怪我はしていませんし、書類も無事で良かったです」
「怪我はなくとも、痛みはあっただろう。あんなに髪を引かれて」
我慢しているだけではないのか。同じ側近である私にまで隠すことはないというのに。
少しかがんで瞳を覗き込むと、フィリーネは若葉のようなそれを細めて、むしろ嬉しいことでもあったかのように頬をほころばせた。
「ちっとも痛くありません。……ダームエルが、来てくださいましたもの。一人で神の瞬きに当たったほうがよほど痛いくらいです。それに、お顔がわかっているのです。文官としては収穫と言ってもいいのではないでしょうか。これからも辛く当たられるでしょうから嬉しくはありませんけれど……見えないところで悪意を持たれるよりは、いくらか対処しやすいのではないかと思います」
ハルトムートの教育のたまものだろうか、元から内に秘めていた強さだろうか。冷静に利点を挙げ乗り切ろうとしているフィリーネの姿に、私は息をついた。
……これでは、どちらが嫌がらせを受けたかわからないな。
少しばかり目をうるませているけれど、彼女は決して屈していない。ならば、私がいつまでも引きずるわけにもいかないだろう。
……だが、この姿はどうしたものか……
乱れた髪に視線をやると、フィリーネは思い出したかのように指先を口に当てた。何か逡巡しているのか、瞳をさまよわせてから、ふわりと私に笑いかける。
「ダームエル。少しだけ、よそを向いていてくださいませ」
「?」
戸惑いながらも私は言われたとおりにフィリーネに背を向けて、周囲を確認した。先ほどの集団は曲がり角に消え、他に向かってくる気配もないようだ。
……フィリーネもこれを確かめていたのか。
彼女が小さく見回していた意味に気付いた私は、姿勢をあらためた。人影がなくとも油断はできない。私に見られたくない何かがあるなら、他の人目はもっとまずいだろうから。
……どこから人が来てもフィリーネを庇えるようにしておかなければ……
守るべく思考をめぐらせるうちに、私の心は静まっていった。
「……お待たせしました」
ほどなくして振り返ると、フィリーネは少し恥ずかしそうに私を見上げていた。
いつも通りに整えられた髪型で。
「!」
……そうか。君は、自分で。
「……行こうか」
「はい」
もちろん他言などしない。私が目を細めてうなずいて見せると、フィリーネの微笑みは安堵の色を得た。
一般的な見解ではフィリーネの行為は貴族らしからぬものであるだろう。任務中の騎士でもない限り、淑女の髪は自室で側仕えが整えるものだからだ。
だが私はローゼマイン様の護衛騎士だ。お仕えするうちに「柔軟な対応」は嫌でも身についた。それに、かの生い立ちがなければ成り立たなかったのではないかと思われる魔力圧縮方法などから、物事はどこで何に応用できるかわからないことを実感している。自分にない知識や経験は、貴族としての是非を問わず、一目置いて見るようになったのだ。
そのため、目をこぼすどころか感心していた私は、声をひそめて訊ねてみた。これほど素早くこなせるものなのかと。フィリーネははにかんだまま教えてくれた。
「そう難しくもないのですよ。よほどひどく乱れなければ、鏡がなくてもできるのです」
二つに分けてさえしまえば、編んだり高く結い上げたりしていないので簡単なのだそうだ。
そう言われても、自分の髪を伸ばしたことも長い髪に触れたこともない私には、やはり大した技術のように思われる。
「難しそうに感じてしまうが……そういうものなのか」
「はい。わたくしは特に扱いやすい髪なのだそうです。ユーディットも、側仕えをまねてわたくしの髪を整えたとき、思いのほかやりやすかったと話していました」
「ユーディットが? あぁ、貴族院では同室だったか」
「はい」
嬉しそうにうなずいたフィリーネに、私も口元をゆるめた。
快活なユーディットのことだ。きっと心温まるひとときだったに違いない。初めての貴族院を領主候補生の側近として過ごす緊張の中、息をつくことができていたのであれば何よりだ。
……私も少しは気休めになれていたらいいのだが。
不安定な立場なのは私も同じだが、私には心を砕いてくれる兄がいて、少しは力を抜いていられる実家がある。対して、実家こそが警戒対象とも言える彼女は、今もこれからも気を抜いて生きることなどできない。
せめて憂いが減るように。この蜂蜜色の髪がもつれてしまわないようにと。
願うような気持ちと共に……
私は、背筋を伸ばし文官として歩いて行くフィリーネを見つめていた。
お読みいただきまことにありがとうございます。
自分のこの発言……
フィリーネの髪型ってキャラ的にももうドンピシャこれしかない愛らしい尊い椎名先生ありがとうございますって感じなんですけど、『何かあったときに自分ひとりでも元に戻せそうな髪形』でもあるような気がしてきてウウッ……(2018年6月27日)
……をきっかけに書き始めて、
ゆっくりのんびり推敲を重ねていた妄想話なのですが、貴族院一年生外伝も刊行されるということで、ちょっと表に出してみることにしました。(本物のユーディット&フィリーネ部屋の様子が公開される前に……というチキン)
少しでもお楽しみいただけたなら幸いです。
※『神の瞬きに当たる』は造語で、原作のどこを見ても出てきませんのでご注意ください。意味は『うっかりする』とだいたい同じ。
[本好きの下剋上ファン作品 No.01]
#ダムフィリ #ダームエル #フィリーネ #本好きファン小説